「芸術」という言葉が邪魔!

美術教育について考えるとき、「芸術」という言葉が邪魔に感じられる。
芸術・美術につきまとうヒューマニズム、西洋的な真・善・美の価値観が鬱陶しい。
何も人間社会におけるヒューマニズムまでも否定しようというわけではないが、美術教育の中に持ち込まれるとそれはとても厄介である。
理想的すぎるのである。

近代教育の始まりと同時にヒューマニズム、西洋理想主義は美術教育の中に持ち込まれた。否、言い直そう、それらの実現のために美術教育が形作られたと言った方が正しい。
技能指導中心だった黎明期の美術教育に児童画の概念が移入され、発達に沿った、もしくは発達を促す指導が行われてきたことは確かに素晴らしい。

しかし、児童中心主義や芸術的な自己表現に対する強いこだわりのため、現代の美術教育はひどく歪んだ姿になっている。あれもこれもと理想を取り入れ過ぎて、実際はなにひとつ実現してない。

「芸術」という言葉が無い時代や国でも、絵は描かれ、立体は形づくられ、人々は美を育んできた。美術教育から「芸術」という概念を取り除きたいと私は考えている。曖昧な「芸術」という言葉に振り回され間口を広げ過ぎた美術教育を再構築する必要を感じている。

私が教えている高校生の多くが苦手としていることがある。
陰影で対象を捉える。
平面から立体を想像する。
etc.

少々乱暴であるが、従来の指導方針をまとめると以下のようになる。「芸術には多様な表現方法がある。苦手な方法を無理強いすることはよくない。生徒が自分に合った表現方法を見つけられるように支援すべきだ。」
何か変である。食べ物に例えてみるとそのおかしさが際立つ。
「食べ物にはたくさんの種類がある。苦手な食べ物は無理に食べなくてもよい。君が好きな食べ物だけを食べられるように支援しよう。」
健康に生活するためにはバランスのよい食事が不可欠である。

もうひとつ重要な事実がある。多様な表現方法を作り出した芸術家は再現的写実表現マスターしている。再現的写実表現を基礎として独自の方法を発展させたとも言える。
ここを間違えてはいけない。
児童・生徒の絵が既知の表現形式に酷似していても、それは成長における通過点にしか過ぎない。
最終目標は再現的写実表現の獲得である。芸術活動はそのあとでも遅すぎることはない。
学校教育はできないことをできるようにすることを目標とすべきである。

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