ゲシュタルト崩壊と創造

今回のエントリーも茂木健一郎の引用から始まる。 脳と創造性 ー「この私」というクオリアへー 茂木健一郎著(PHP研究所)から  ある一定の時間、対象を見つづけると、その確固とした意味が失われてしまう現象を「ゲシュタルト崩壊」と言う。見慣れた漢字でも、それをずっと見つめていると、そのうちにわけのわからない模様がそこにあることに…
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学校で美術を学ぶのは何故?

「学校で美術を学ぶのは何故?」 美術の教師はこの疑問に対する答をいつも考えている。 私は「イメージを操作する力」こそが「考える力」そのものだと信じている。美術教育はその教育活動を通して「視覚リテラシー」を向上させ「イメージを操作する力=考える力」を伸ばす教科だと考えている。 絵を描いているとたくさんの疑問がわいてくる。 …
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デッサン力がないと省略して描けない

授業で気付いたことをわすれないために記しておきます。 高一初めての油彩画の授業。 机の上に組んだ静物モチーフの客観的描写(写実描写)を要求。 背景は見える通りに描いても良いが、詳しく描くことが面倒だったり難しい場合は重要な要素だけを残して省略しても良いと伝える 重要な要素をさらに分かり易くするために、床と壁が接している線や窓…
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年齢を重ねても、カラオケで歌を歌いますが、絵は恥ずかしくて描きません。これはなぜ?

美術教育の存続を訴えるサイト「図画工作・美術教育の大切さを訴える」に寄稿されていた文の中から見つけた言葉です。 寄稿された方の文は音楽や美術教育の重要性を訴えています。この疑問だけを取り出してしまうと寄稿された趣旨から少々離れてしまいます。しかし、私も同様の疑問を持ちずっと考え続けていたことなので、その点をご容赦して頂きたいと思い…
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「読み・書き・計算」は「考える力」の基礎・基本ではない

「読み・書き・計算」ができないと「考える力」が育たないのなら、文字を持たないインカやアイヌには考える力がないはずである。しかし、彼らの文明や環境に適応した生活を前にしてそんな馬鹿なことを言う者はいない。 「読み・書き・計算」ができる私たちの誰もが「考える力(発明・発見をする力)」を持っているのだろうか.「読み・書き・計算」に優れて…
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美術教育にまつわる話・・・備忘(1)

ジェーン・ハーリー著  「コンピュータが子どもの心を変える」 大修館書店より  幼い子どもの場合、体を使って動かすことで脳の感覚連合野が統合され、高次の認知能力の基礎がつくられる。そのため、世界の教育者たちは正規の教育課程の中に体を使った遊びを組み込んでいる。素早い動きを連続して行うこと、そして「ビート」感覚を体で覚えることによっ…
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ガラス色の絵の具発売される!

生徒のみなさん、今日はうれしいお知らせがあります。 今度、○○社からガラス色の絵の具が発売されました。 この絵の具を使えば、今まで水色や灰色で塗っていた窓ガラスやビンが、この色を塗るだけで、ほらどうです?、あっという間に、このようにリアルな表現が出来ます。 ガラスに映り込んだ風景も、透けて見える向こう側も、屈折による歪みも、こ…
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美術教育にまつわる数字・・・備忘(2)

美術手帳2005年6月号  子供と美術(1)  座談会「図画工作教育の現場から」 まずは、小学校の図画工作の時間数について。 昭和23(1948)年には週3時間枠があったが、昭和52(1977)年には週2時間、 そして平成11(1999)年には、高学年で年間52時間まで、削減されたという現実に、私たちは直面しています。  …
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美術教育にまつわる数字・・・備忘(1)

美術手帳2001年3月号「特集 日本の美術と教育」に、興味深い調査結果が載っていた。 当時の文部科学省初等中等教育局視学官遠藤友麗氏は「これからの美術教育の充実・発展を考えた改訂」と題した文のなかで、今回の学習指導要領改訂のための基礎資料となった「美術科についての意識調査」について次のように述べている。 この意識調査は全…
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絵を描く

「デッサン」について、ギタリスト兼高校美術教師の中村シキカツさんのブログに面白い記事が載っていました。 動くもの、変化するものを描くことは測量的なデッサンでは難しい。 捉えることが難しい場合はイデア(自分が感じた理想的なかたち)を描けばいい。 この考え方は私を刺激しました。 「絵を描くこと」には様々な段階があることを中村…
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ラブサイケデリコを透して教育の未来を覗く (1)

日本のロックグループ、ラブサイケデリコがおもしろい。 70年代生まれの彼らの曲は、60年代ロックのおいしいところがセンスよくちりばめられている。 日本語と英語が融け合った歌詞は、一聴しただけでは判別困難。(しばらくの間、日本語であることに気づかず、洋楽だと思い込んでいたのは私だけではあるまい。) 耳が慣れてくると、日本語と英語…
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「芸術」という言葉が邪魔!

美術教育について考えるとき、「芸術」という言葉が邪魔に感じられる。 芸術・美術につきまとうヒューマニズム、西洋的な真・善・美の価値観が鬱陶しい。 何も人間社会におけるヒューマニズムまでも否定しようというわけではないが、美術教育の中に持ち込まれるとそれはとても厄介である。 理想的すぎるのである。 近代教育の始まりと同時にヒュー…
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アノマロカリス

カンブリア紀の補食生物アノマロカリスです。コンテンツ「教育」の挿絵に使うため描きましたが、結局ボツにしたスケッチです。 このアノマロカリス、何かに似ていると思いませんか? 獲物を捕らえる触手、体の中央部分に飛び出ている目、腹部脇のヒレ、どの部分もイカそっくりの機能形態です。 生態系のなかで同じ位置を占める生き物が同じような機能形態…
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壁をこえる

美術を教えていると二つの壁に突き当たります。 ひとつは造形言語の壁です。 言語が意味の言葉なら、造形言語は感覚の言葉です。 生徒は形や色の言葉を教わっていないために、形や色の読み書きが苦手です。 習えば誰でも使える言葉なのに、誰も真剣に教えようとはしません。 素晴らしいアイデアが頭に浮かんでも、生徒はどんな形や色を選べばい…
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