ゲシュタルト崩壊と創造

今回のエントリーも茂木健一郎の引用から始まる。

脳と創造性 ー「この私」というクオリアへー 茂木健一郎著(PHP研究所)から

 ある一定の時間、対象を見つづけると、その確固とした意味が失われてしまう現象を「ゲシュタルト崩壊」と言う。見慣れた漢字でも、それをずっと見つめていると、そのうちにわけのわからない模様がそこにあることに気がつく。脳の神経細胞は、同じ活動モードを続けていくと、いつの間にかその軌道から逸脱する傾向を持っている。同じ言葉をくり返し言っていると、そのうちに言い間違えてしまうのはそのためである。もうすっかり判ってしまったと思った対象を見つめ続けることにより、ゲシュタルト崩壊が起こる。崩壊の後で、自分の前にある何やら訳のわからないもの ーそれこそが、生のままの、剥き出しの「個別」である。素粒子の個物性など、大したことはない。要素の組み合わせからこそ、無限の個別が生まれる。雨が降ることでさえ、そこに現われる個別の無限の奇怪さは、創造主さえ青ざめさせる。ましてや、人間という複雑な生態系の「個別」に宿る奇怪さは、ひょっとしたら生死に耐えないものである。そのことを知っていいたのがフランツ・カフカだろう。

 ※ 全体性を持ったまとまりのある構造をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt 形態)と呼ぶ。

私は「創造」には「ゲシュタルト崩壊」が必要だと考える。
全体性を持ったまとまりのある構造とは「意味」そのものだ。「意味」は同じ文化に所属するメンバー同士が曖昧な部分を残しながらも共有している「約束」または「とりきめ」だ。
「約束」「とりきめ」は「創造」を疎外する。「新たな見方」「新しい価値」を開発や発見されてばかりいたら「約束」「とりきめ」は成り立たない。人々は「学習」した「意味」が反故になることを無意識に恐れ「約束」「とりきめ」に固執する。
一方で「創造」によって獲得できる新たな「ニッチ」に憧れる。この矛盾した心理は興味深いが脱線しそうなのでここまでにする。

 ※ ニッチ:生物学では生態的地位を意味する。1つの種が利用する、あるまとまった範囲の環境要因。

「約束」や「とりきめ」た「意味」をものごとから一度引き剥がし、「何やら訳のわからないもの」としてとらえ、そこから「新たな見方」「新しい価値」を見つけることが「創造」だと考える。
対象を見つめ続ける「デッサン」とは正にそういうことである。ここに学校で美術を学ぶ理由がある。

「意味」を引き剥がす行為はもう一つの面をもっている。それは「うつ」との関係である。「意味の喪失」は「うつ」の苦しみそのものである。創造にかかわる人々と「うつ」の間には切り離せない関係がある。気をつけなければならない。




 

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